殉難者の日
こんにちは。なかのです。
ミャンマーには数多く休日がありますが、その中でも、1番実態がわからなかった
日本語だと、殉難者の日、
英語だと、Mraty’s Day、
ビルマ語だと、アーザニ―ネ、
と言われる祝日についてご紹介します。
7月19日 に一斉に黙とう
7月19日午前10時37分、一斉に黙とうが始まりました。
普段から自動車があっちでも、こっちでもクラクションを鳴らしているので、最初は何が起きたかわかりませんでした。しかし、10時37分という微妙な時間であること、一斉にクラクションを鳴らしていることを考えると、これは普段の騒々しさとはわけが違うと思いました。 そうです。 ビルマを独立に導いた、建国の父・アウンサン将軍が暗殺された日でした。
あるミャンマー人社員の過ごし方
私にとっては、突然始まった殉難者の日ですが、ミャンマー人はどのように過ごしているのでしょうか。
疑問を抱いたので、ミャンマー人社員Pさんに質問してみました。
殉難者の日は、どう過ごしたのですか?
旧ビルマ政庁を訪れました
これは、何の写真ですか?
アウンサン将軍が暗殺された場所の写真です。
部屋の中を見ることはできますが、写真を撮ることはできないです。
他には何があるのですか?
会議場にも行きました。
写真の上に映っているのは、組織の旗です。
独立前の様子について話しているビデオが流れている部屋にも行きました。
最後の写真について、質問させて下さい。
これは、何の絵ですか?
子供が殉難者の日に関して描いた絵です。沢山ありました。
ちなみに、Pさんは誰と行ったのですか?
いとこと行きました。
今まで中を見ることは限られていたので、多くの人が来ていました。
新政権になり5年、少しずつアウンサン将軍の情報や前政権時代のことがミャンマー国内で公開されるようになってきていると感じます。
多くのミャンマー人が、並んでまでして将軍が暗殺された場所を見に行くのは、イベントごとに興味があるという以上に、独立の父・アウンサン将軍を尊敬しているからではないかと考えます。
建物自体は改装工事中ですが、暗殺された部屋は改修せず、当時を再現する方向で動いています。 ミャンマーを訪れる際、市街地を見るだけではなく、旧ビルマ政庁を訪れて、ミャンマー人にとってアウンサン将軍がどのような存在なのか、 是非 皆さんの目で確認して頂きたいと思います。